
(画像は7つの習慣より)
■常識とは“過去は当然であった”ということだけのモノ。
画像の発言は、当時、その分野の第一人者と言われる人が得意げに語ったものである。
実は、iPhoneが国内で販売された当時も、当人たちの名誉のために名は伏せるが、ソフトバンクのライバル会社の社長も、有名なエンジニアもこんなガラクタはコンピュータとしても携帯電話としても中途半端ですぐに廃れる、消えると酷評したものでした。
しかし、10年後の今はどうですか?
既存の携帯電話は絶滅危惧種となり、スマホの開発に出遅れた日本企業は携帯電話事業から次々と撤退し、概ねiPhoneとギャラクシーが市場を二分している状況になってしまった。
■“常識”という魔物の呪縛から逃れるには?
常識とは、人々の過去の経験で作り上げられた価値観でしかなく、時代とともに絶えず変化しているんだという謙虚さを持つことです。
私は、幼いころに実母を亡くし、その後の継母やその実家との折り合いも悪く、小学校の頃はそのことでイジメにも遭った。
そんな境遇で育ったからか“普通”とか“常識”という曖昧な言葉が大嫌いだった。
私自身の信条は“保守的日本人”です。
しかし、近年のネトウヨと呼ばれる天皇陛下を極度に崇める考え方は嫌いです。
何故なら、国民が天皇陛下を崇めるようになったのは明治以降のたかだか150年です。
富国強兵で国民を一致団結させる手段として天皇陛下を神格化させ統治の手段に使ったのです。
それまでの鎌倉公方から江戸の公儀までの700年間は「おらが土地の殿様」に仕えるという考えしか日本人にはなかった。
なぜなら、一般人は天皇陛下の姿かたちを目にすることはなかったので。
そう、我々が信じている常識だとか伝統だとかいうものはいかに根拠が曖昧で脆弱なものなのかが分かったかと思います。
■働き方改革が実現できない理由もない
画像の例にもれず、当時は酷評されていたものが今は当たり前になっている。
働き方改革の実現もまさに同じである。
今までの枠組みの延長で考えていたら実現は不可能でしょう。
しかし、実際にはEU加盟国では実現されているのです。
その分の不便という代償は払わなきゃならんでしょうが、日本はそもそも論として、サービスを無償奉仕と誤解するからおかしなことになっただけです。
■薄利多売では絶対に黒字にならない
薄利多売という言葉がありますが、現在の日本は第三次産業(いわゆるサービス業)が中心です。
サービス業は労働集約型産業です。
故に、人がいないと商売できない。そうゆう構造では薄利多売で黒字を出すことなんて無理なんです。
計算すればすぐにわかります。
お客様は無理やワガママを言ってもチップや追加料金を支払ってくれていますか?
受注額とそれに対する工数と人件費や経費の釣り合いが取れていますか?
以前より口酸っぱく述べていますが、今は“働き手が急減”している時代です。
応分の給与や労働条件を提示できない会社は自然淘汰されていきます。
この四半世紀で物価水準が下がったのは日本だけです。
今や、アジアの新興国にも生活水準でならばれるようになってきたので、日本人が採用できなきゃアジアの若者をと思っても来てはくれませんよ。
旧来の商慣習なんていう生温いことを言っているようならいますぐ、社長の座を降りてください。
社長が変わり、組織風土が変わり、社員の意識が変わり、取引先との関係を変えるという“パラダイムシフト”という外科手術を行わない限り、働き方改革の潮流のなかで御社は消えるでしょう。
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