
■「経験主義」に囚われ、求められる能力を評価しない年功重視の日本企業の弊害が今般の企業不祥事や企業統治不全を招いている!
“名選手、名監督に非ず”という言葉は多くの社会人が知っているはずである。
にもかかわらず、日本の人事査定ではプレイヤーとしての成果が昇進に直結することが往々にしてある。
特に、私は営業畑出身なので身に沁みて分かる。
しかし、営業成績と管理者の資質はequalではない。
■プレイヤーとして優秀だった故にパワハラをする
プレイヤーとしての成果で昇進をさせていたら当たり前だが、成果を出すことに長けた人間が上司になる。
故に、部下は自分よりも実績が劣るわけなので、なぜ自分のようにできないのか?ミスをするのか?と結果の出ないことに苛立ちを覚え、勢い“パワハラ”へと発展する。
今の日本の企業やスポーツ団体で起こるパワハラも大抵はプレイヤーとして優秀な人が指導的立場になったから起きている場合が多い。
■上司に求められる資質から逆算して人事考課しなければ何時まで経っても貴社は成長しない
上司の役割って何でしょうか?
上意下達で偉そうに命令を下すことでしょうか?
違いますよね?
部下を鼓舞し、コーチングしてやる気を引き出し、部門全体の底上げを図りつつ、結果を出し、会社にとって有益な人材を育てることですよね?
多額の採用コストをかけて手塩にかけて育てた社員を精神的に追い込んで退職に追いやるような者は上司じゃないですよね?
アメリカならMBA取得者なら20代半ばでも部長待遇で採用されますし、フランスのグランゼコール出身者も同様です。
しかし、日本のエグゼクティブといえば未だに旧態依然としたステップを踏んで早くても大抵40代です。
なぜこんなことが起こるのか?
■企業側が求める人材(必要な人材)と割り当てる職務を明確にしないまま採用しているから無能な階層社会になる
今、貴社が求人を出そうとして社長は自社に必要な人物とその者にやってもらいたい業務を明確に言えますか?
せいぜい、事務なら事務経験者、営業なら営業経験者くらいしか言えないでしょう。
しかし、事務と一言で言っても企業によって導入されているソフトウエアやシステムは違ったりしますし、業務フローも違うかもしれません。また年齢や性別構成、既存社員との能力差もあります。
営業なら加えて、お客様のエリアの特徴、顧客の気質、ルートセールスか飛び込みか?などでも違ってきます。
管理職に求める能力も同様です。
採用段階からの明確な一貫性が無いから引き上げる社員にも明確な基準がなく結果として“無能階層社会”が出来上がるのです。理論だけでもダメですが、理論の無い経験主義はもっと罪深いです!
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