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「還暦」や「古希」を超えたようなものに未来のビジョンが描けるか?

■時代(次代)を創るのは若者であっていか、老人ではない。年長者が若者に出来ることは彼らが活躍できるように地均しをしてあげることだ。

 

日本は相も変わらず政界も財界も年寄りがのさばっている。

一概に年齢のみで能力を決めつけてはいけないが、年金受給世代の人間が本気で未来を想い、50年後、100年後の社会なんてビジョンを描けるか?

民主主義の悪しき点でもあるが、政治家なら次の選挙でも当選することしか考えないだろうし、後援者のことしか考えないだろう。

財界人なら目先の利益を得ることに目がいき、株主総会を上手く乗り切り、自分が代表取締役に再任されることに気持ちがいくだろう。

それこそ、代々受け継いできた取締役会も非常設の中小企業だとしたら社長は自分の立場を守ることしか頭にないだろう。

経費の名目で会社の金を使いまくったりしてね。

そんな目先の利益や保身にしか興味のない高齢者に長期的展望なんて持てると思うか?

“私を誰だと思っているんだ?”と言い始めたらそれは、貴方は身を引くタイミングということです。

実るほど頭を垂れる稲穂かなという諺はご存知かと思います。

意味は「学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振舞う」ということ。

会社に置き換えると「成長・発展すればするほど、会社の態度・社員の態度が丁寧にならなければならない」ということ。

つまり、“謙虚”になれということです。

Ⅾえは、謙虚とは「自分を偉いものと思わず、素直に他に学ぶ気持ちがあること」「控えめであり、慎ましいこと。自分の能力や地位などにおごることなくへりくだり、相手に対して素直に意見を受け入れ接すること」です。

 

■“未知なるもの”に恐れ戦いて叩き潰そうとする限り変われないし、成功もできませんよ。

 

50歳も年下の若者の考え方についていけない、理解できないと感じるのは当然のことでしょう。

何故なら人の価値観形成は学生時代が影響する。

何を学んだのか、どういった社会情勢だったのか?というバックグラウンドが異なれば自ずと考え方も違う。

若者=未知なるものに媚びたり迎合する必要はない。

しかし、頭ごなしに否定したり、排除しようとすることは如何なものか?

人は自分を脅かす者が現れると必然的に防衛本能が作動します。

しかし、イノベーションとは自分と違う考えの人間の意見と融合させることで生まれるものです。

人が保身に走るのは自己否定を受け入れるのが怖いからです。

しかし、諸行無常の言葉の通り望むと望まないとに関わら川の如く、時も流れているのです。

執着心が芽生えたら引退の時ですよ。