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人間、臆病なくらいが丁度いい

■軽挙妄動を慎み、慎重かつ謙虚になろう。

【軽挙妄動】…軽はずみに何も考えずに行動すること。是非の分別もなく軽はずみに動くこと。

今日の説話は“慢心の戒め”です。

この喩えを見てぱっと思い浮かんだのが、徳川家康の三方ヶ原での大敗です。

当時の家康はまだ血気盛んな戦国の世に売り出し中の若武者です。

かつての主の今川を滅ぼし多少天狗になっていました。

そこへ、百戦錬磨で老練、かつ戦国最強の騎馬軍団と恐れられた武田信玄が上京の為に浜松を通過します。

風林火山の旗印でも分かるように武田信玄は孫子の兵法を熟知しています。

はやる気持ちの家康が居ないかのように無視をして浜松を素通りしました。

もちろんこれは信玄が仕掛けた巧妙なトラップです。

無視された家康は頭にきて背後から進軍してくるだろうと読んでいました。

故に信玄は家康に気づかれない場所で布陣して待ち構えていました。

そこに、向こう見ずな若大将の家康軍が突っ込んできましたが、返り討ちに合い、命からがら浜松城に逃げ帰りました。

家康はこの戦での経験をもとに“狸おやじ”と揶揄されるような慎重かつ老獪な人間となり、260年続く江戸幕府の礎を築けたのです。

彼が学んだのは慢心は己を殺すということです。

彼の同盟者であった織田信長は非常に慎重な男でした。

故に本能寺の変が起こったのは予想外なのです。

何故なら、謀反を起こしたのが最も信頼していた明智光秀だからでした。

光秀を信頼しているからこそ、近江や京都を彼に任せていたのです。

慢心が引き起こした敗戦といえば、ナポレオンのロシア遠征の失敗やナチスのソ連侵攻失敗や旧日本軍のインパール作戦も挙げられます。

これら三つに共通しているのは、連戦連勝で自軍に驕りがあったことと、敵国の内情をきちんと把握できていなかったこと、補給線が長くなってしまったことです。

#軽挙妄動 を慎むべきは何も軍事に限りません。日常生活や日々の仕事でも #謙虚 で #慎重 で #準備 しておくことは極めて重要です。ただ、実践するのは難しい故に我々のようなコーチがいるのです。