■普通や常識なんて自己満足の価値基準でしかない。
辞書的な意味では、「普通」とは、特に変わっていないこと、極ありふれたものであること、珍しくこと等と定義されている。
一方「常識」は、一般の社会人が共通に持つ、また持つべき普通の知識・意見や判断力とあり、明治時代から定着した比較的新しい言葉。
また「常識的」とは、普通であるさま、当たり前であるさまと言う意味です。
■身体障害者1級となり、これらの言葉に疑問を持ち始めた1っか月。
私は7月17日から永続的に人工透析を受ける身体となり、法律上は身体障害者1級というマイノリティーになりました。
マイノリティーなったことで見えてきたのはいわゆる「普通の人」の傲慢さや不寛容さです。
それは一般社会のみならず、企業や組織内でもそうです。
よく上司が部下に対して常識で考えれば分かるだろうとか、普通に考えてさぁなんて言いませんか?
取引先なんかもそうです。
しかし、「普通」や「常識」なんて個人的見解や価値基準に過ぎなかったり、その組織内のことだけのことが殆どなんです。
また、時代や環境、立場によって全く異なるのも「普通」や「常識」です。
そしてそれらは“過去の産物”でしかないということです。
令和元年の総務省の推計によるといわゆる障害者と定義される人は約2,471,000人とされています。
日本の人口は令和2年8月の概算値で125,930,000人となっています。
因みに人工透析患者数は約340,000人となり、ほぼ大津市・所沢市・旭川市の人口と同じです。
日本の人口に占める障害者の割合は約1.96%。
人工透析患者の割合は約0.27%。
確かにどちらもマイノリティーです。
しかし、障害者数は概ね大阪市の人口に匹敵し、人工関患者は概ね大津市・所沢市・旭川市の人口に匹敵すると置き換えたら結構いるなと思いませんか?
上記挙げた都市を排除したらどうでしょうか?
「普通」や「常識」に拘るってことはそれらの規模の人々を認めないってことです。
冷静に考えてください。
貴方の周りにも大阪市や大津市、所沢市、旭川市出身の人が居たりはしませんか?
実は少ないようで結構いるのがマイノリティーなんです。
そして、歴史上数々の発明やイノベーションを成し遂げた人はたいてい「普通」や「常識」というマジョリティーの範疇からはみ出した異端児であることが多い。
今般の #コロナ禍 で「普通」や「常識」という過去基準から抜け出せない人や組織は淘汰されるでしょう。 #革新 や #イノベーション を成して時代を切り拓いてきた偉人は大抵 #非常識 と揶揄されてきた人たちです。同様に #障害者 であった人も数多います。 #普通 や #常識 を疑うことで道は開けるのです。
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